十四主星——あなたの主星は、どんな人か
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一枚の命盤には、たくさんの星があり、主となる星と、従(したが)う星があります。いわゆる主星とは、最も声の大きい、最も調子を定める星のこと——一齣の芝居の主役のように、あなたの性格に下地の色を与えます。伝統では、最も要となる十四星を十四主星(じゅうししゅせい)と呼びます。紫微・天機・太陽・武曲・天同・廉貞・天府・太陰・貪狼・巨門・天相・天梁・七殺・破軍の十四星です。自分の主星を知ることは、命盤を読み解く最初の一歩です。
どう見つけるのでしょうか。まずご自分の命盤を組み、「命宮」と記された枠を探し、そこにどの主星が座っているかを見ます。その星が、あなたの性格の下地の色です。ときには一つの枠に主星が二つ座ることもあり(たとえば紫微天相、太陽太陰の同宮)、その場合は二星の味わいを調和させて、あわせて見ます。もし命宮の枠に主星が一つもなければ、それを「空宮(くうきゅう)」と呼びます。これについては、後段であらためて申します。
以下、十四の主星を一星ずつ描いてまいります。どの星についても三つのことを記します。その核となる気質、人との接し方、そしてよくある内なる課題です。光と影をともに語り、持ちあげも、けなしもしません。どの星も、長所であると同時に、乗りこえるべき宿題でもあるからです。
紫微・天府・天相——中央に坐する三星
まずは、中央に坐して人を安心させる三星から。紫微(しび)・天府(てんぷ)・天相(てんそう)は、一つは帝、一つは蔵(くら)、一つは相(しょう)。共通する下地の色は「安らかさ」です。生まれつき物事をきちんと収めようとする、盤のなかで人が頼れる一つの力です。
紫微は帝の星で、生まれながらに「これは私が担おう」という度量を帯びています。敬われることを好み、責めを負うこともいといません。人との接し方は端正で体面を重んじ、人の世話をやくのも、采配をふるうのも好み、人の集まりのなかでは、いつのまにか中央へと押し出されがちです。その課題は、面目と掌握を重んじすぎることにあります。耳に痛い言葉を聞き入れられないと、孤高に映りやすく、そばに支えとなる輔星(ほせい)が欠けると、かえって臣のいない君主のように、姿勢ばかりで力を出せなくなります。
天府は南斗の主星、そして盤のなかの財の蔵で、性格は落ち着いて実際的です。物を存分に収められる倉のようで、安心と蓄えをことのほか重んじます。人との接し方は円やかで、程よさをわきまえ、無理に進むのを好まず、守り固め、身近な人を安んじるのが得手です。その課題は、安らかさを求めすぎること。何事も細かく勘定して、なかなか手放せず、外へ飛び出す胆力にいくぶん欠けます。見た目は大らかでも、内では固く守り、放すのを惜しみがちなのです。
天相は印の星で、君主を輔(たす)ける宰相のよう。おだやかで端正、生まれつき取りもち、仲立ちの才を備え、約束を重んじ、義理を説きます。人との接し方は得(え)て、人と人の橋渡しや仲裁を進んで引き受ける、たいそう頼れる補佐役です。その課題は、「どうするのが正しいか」を気にしすぎること。事に臨むとどっちつかずになり、人につられて動きやすく、主見が足りないと、人あたりのよさが、かえって立場のなさになってしまいます。
太陽・太陰——一つは人を照らし、一つは己を養う
太陽(たいよう)と太陰(たいいん)は、一つは日、一つは月で、あわせて日月(じつげつ)と呼びます。一つは光を外へ照らし、一つは柔らかさを内に秘める。ちょうど、相反しながらも補いあう二つの温度です。
太陽は日、光明磊落(こうめいらいらく)で、熱心に、進んで尽くします。人が委縮するのを見ていられず、いつも人のために前へ出ようとします。人との接し方は大らかで率直、自らの光を人へ照らすことをいといません。その課題は、力をいつも外へ放ってしまうこと。まず人を照らしておいて、先に自分が疲れてしまう。性分は真っすぐで、癇癪が起きると隠しきれず、恩を施しては覚えていてほしいと願う——それが、心のなかでなかなか平らかにならない一つの引っかかりです。
太陰は月、やさしく細やかで、情に厚く、清潔を好み、美意識を備え、思いはいつも内へと収まります。人との接し方は思いやり深く家庭を大切にし、身近な人を黙って十分に世話し、目立つことを好みません。その課題は、考えすぎ、秘めすぎること。感情は潮の満ち引きのように、上がり下がりがあり、敏感になりすぎると細かなことに思いつめやすく、自分だけが苦しんで、けれど口には出そうとしないのです。
天機・天同・天梁——謀(はか)り、和(なご)み、蔭(かげ)で護る
天機(てんき)・天同(てんどう)・天梁(てんりょう)は、道理をわきまえ、温厚な一筋です。硬く当たることを好まず、それぞれ智慧、和やかさ、蔭(かげ)の護りをもって人に接する、盤のなかで柔らかくも重みを失わない力です。
天機は智慧を司り、頭の回転が速く、学ぶことを好み、分析に長け、まわりの移り変わりにことのほか敏感です。人との接し方は機転がきき、人の心をよく汲み、思いつきも多く反応も速い、知恵を出す名手です。その課題は、考えすぎ、変わりすぎること。あれこれ思い煩って落ち着きにくく、聡明さがかえって聡明さの足かせになります。最も学ぶべきは、絶えず動きまわるその心を、まず定めることです。
天同は福の星、和やかで楽天的、味わうことを知り、足るを知り、感情は柔らかく、世と争いません。人との接し方は親しみやすく付きあいやすく、人と競うことを好まず、そばにいると気が楽になります。その課題は、安逸に安んじすぎること。ひと踏んばりする気概と危機感にいくぶん欠け、順境ではつい気がゆるみます。手もとにあるその福に、いくらかの骨気を添えてやりたいところです。
天梁は蔭(かげ)の星、落ち着いて筋を通し、生まれながらに長者の心根を備え、人の世話をやくのも、道理を明かすのも好みます。人との接し方は頼もしく、担うべきを担い、人のために風雨をさえぎってやれる一人です。その課題は、手放せず、人に教えたがること。ときに筋を守りすぎて、年寄りじみて、くどく映ります。学ぶべきは、心づかいはほどよく、言い添えるのも要点まで、ということです。
武曲・廉貞・巨門——剛(かた)く、多面で、深い
武曲(ぶきょく)・廉貞(れんてい)・巨門(きょもん)は、それぞれに角と深みを備えています。一つは剛(かた)く、一つは多面で、一つは深い。付きあえば、いずれも重みがあり、そして最も味わい深い星たちです。
武曲は財の星、そして将の星でもあり、剛毅果決(ごうきかけつ)で、実際を重んじ、苦労にも耐え、こうと定めたことは一分の隙もなくやり遂げます。人との接し方は真っすぐで、信用をことのほか重んじ、甘い言葉は不得手ですが、たいそう頼りになります。その課題は、性分が硬く、物言いが柔らかくないこと。金銭や勝ち負けを重く見て、孤剛に映りやすく、剛が過ぎると、最も親しい人でさえ、近寄りがたく感じてしまいます。
廉貞は囚(しゅう)の星で、次桃花(じとうか)も帯び、性情は込み入って多面です。筋を持ちながら欲も抱き、慎むこともできれば奔放にもなれる、矛盾のうちに、それでいて魅力を宿す星です。人との接し方は情義を重んじ、こだわりがあり、本気になるとたいそう執着します。その課題は、内なる二つの力がしばしば引きあうこと。感情と欲がうまく収まらないと、極端へ走りやすくなります。学ぶべきは、その濃(こま)やかさを、正しい道のうえに収めることです。
巨門は暗(あん)の星、思いは深く、弁が立ち、根を追い、真相への一つの執念を持ちます。人との接し方は、言葉に重みがあり、分析は理にかないますが、その言葉に、ときとげが混じります。その課題は、疑いやすく、口舌(くぜつ)を生みやすいこと。何事もまず疑いを前に置くので、せっかくの好意も、自分の言葉で台なしにしがちです。学ぶべきは、まず人に一分の信を与え、その鋭い弁を、正しいところに用いることです。
貪狼・七殺・破軍——殺破狼、切り開くものと、揺れるもの
貪狼(たんろう)・七殺(しちさつ)・破軍(はぐん)は、あわせて殺破狼(さっぱろう)と呼び、盤のなかで最も動きの力を帯びた一組です。共通する下地の色は「変(へん)」——切り開くことを渇望し、平凡に甘んじず、人生の起き伏しも、往々にして人より大きくなります。
貪狼は欲を司り、桃花の一つでもあります。欲は旺(さか)んで興味は広く、多才多芸で活力にあふれ、人にも事にも、探究の興を帯びて向かいます。人との接し方は如才なく、場を心得、社交の手腕に長け、表向きの付きあいをよくこなします。その課題は、貪って一つに絞りにくいこと。欲に節度がないと、あれこれ手をつけて、どれも深まらなくなりがちです。最も肝要なのは、その欲に、一つの方向を立ててやることです。
七殺は将の星、剛烈で独立心が強く、思いきって当たり、突き進み、「やると言えばやる」という孤(こ)なる勇を帯びています。人との接し方はさっぱりとして義気を重んじ、ぐずぐずせず、けれど容易には頭を下げません。その課題は、剛すぎ、急ぎすぎること。がむしゃらに突き進み、独りで動きがちで、うっかりすると人を遠ざけてしまいます。学ぶべきは、自分にいくらかの緩衝を残し、何事も硬く当たりすぎないことです。
破軍は破(やぶ)り立てることを司り、思いきって破り、思いきって立て、旧きを守るのをよしとせず、切り開くことを好み、変わらぬことに最も耐えられません。人との接し方は情義を説き、進んで尽くし、事をなすときは大きく開いて大きく合わせます。その課題は、破るのは速いが、良きものまで一緒に押し倒しやすいこと。一生の起き伏しは大きく、すり減りも大きくなります。学ぶべきは、破ったあとに立てることを心得て、ただ旧きを倒すことだけに気を取られない、ということです。
同じ星でも、なぜ濃い人と淡い人がいるのか——あわせて空宮の話
ここまで読まれて、こうお思いかもしれません。同じ一つの星なのに、なぜある人はことのほか鮮やかで、ある人は淡いのだろう、と。これは一つの考え方にかかわります——廟旺利陥(びょうおうりかん)です。命理では「廟・旺・利・陥」というこの数文字で、ある星がある宮に座ったとき、神采(しんさい)を輝かせているのか、それとも黯(くら)んで力を出せずにいるのかを描きます。
たとえてみましょう。太陽は昼の宮(たとえば巳・午)で最も明るく、熱を四方に放ちます。ひとたび夜の宮に落ちれば、光はぐっと収まり、あの磊落(らいらく)さも内へと転じます。太陰はちょうど逆で、夜に入ってこそ、皎(きよ)らかに人を惹きます。ですから同じ太陽でも、熱く外へ放つ人もあれば、温(ぬる)く控えめな人もある。星の性が変わったのではなく、ただ濃淡が違うだけなのです。廟旺のときは、その星の長所がことのほか鮮やかに現れ、陥弱(かんじゃく)の地に落ちると、その力が出せず、かえって短所が頭をもたげやすくなります。個性を知るには、「私は何々星だ」と覚えるだけでなく、その星が明るく座っているかどうかまで見なければなりません。
もう一つよくある疑問が、空宮です。命盤を開いて、命宮の枠が空っぽで、主星が一つも座っていない——これを「空宮(くうきゅう)」と呼びます。空宮は「性格がない」ということではなく、まして命が悪いということでもありません。伝統の見方は「対宮を借りる」——命宮の真向かいの枠(遷移宮)の主星を借りて参じ見るのです。その星の味わいが、あなたの性格のおもな下地の色になります。空宮の人は、しばしば一枚の鏡のようで、環境をよく映し、縁にしたがってしなやかに応じ、個性はかえって弾みを持つことがあります。ですから命宮に主星がなくとも、慌てることはありません。対宮の主星をよく見きわめれば、あなたがどのような人かは、同じように読み取れます。
主星は骨組みであって、判決書ではない
十四主星が描くのは、人の下地の色と骨組みです。けれども生きた一人の人間は、一つの星よりもはるかに込み入っています。同じ紫微でも、異なる輔星を配し、異なる四化に出あえば、雍容(ようよう)として度量の大きい領袖にもなれば、姿勢ばかりを構える孤家寡人(ここかじん)にもなります。骨組みは同じでも、そこから育つ姿は、天と地ほどに違うのです。
輔星(たとえば左輔右弼、文昌文曲、天魁天鉞)は、主星に助け手と才を添えます。四化(化禄・化権・化科・化忌)は、星曜に光と影を差すようなもので、同じ一つの星に、人によって吉凶と濃淡の別を生じさせます。これらを欠いて、ただ一つの主星だけでは、一人の人を見尽くすことはできません。
ですから、自分の主星を知ることは入門の第一歩であっても、終点ではありません。ゆめゆめ、たった一つの主星で自分に判決を下さないでください。「私は七殺だから、孤独と決まっている」——それは、星を読み違えています。星はただ、あなたが生まれつきどのような傾きを帯びているかを、そっと知らせてくれるだけ。この一生をどう生きるかは、なお、あなた自身の手のうちにあるのです。
この十四主星が、あなたの命盤のどこに座を占め、たがいに照らしあって、どのようなあなたを映し出すのか。それを知りたいなら、みずから命盤を組んでみてください。無料でひとつお尋ねいただけます。盤にならぶ星たちに、あなたのことを、いっそう周(あまね)く語らせてみましょう。